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小田急が見据えるMaaSの推進戦略と未来の姿

ウェビナー報告

ユナイテッド株式会社では、各業界でDXのトップランナーを取材しています。

今回はMaaS Japanをリリースするなど、MaaSのパイオニア的存在である小田急電鉄株式会社へ取材に行きました。関係行政と連携を図りつつ過疎地における移動手段の確保や観光地での二次交通の確保といった地域の課題解決にも資する重要な手段の「MaaS」についてお伺いします。

小田急がMaaSに取り組む理由

米田:なぜ御社はMaaSに取り組み始めましたか。

西村:2018年に経産省がDXを謳い始めましたが、MaaSの動き自体は国内では2017年から、海外では2015年ごろからあります。MaaSの動きは結果的にモビリティ業界のDXと捉えられるようになったと認識しています。

弊社がMaaSを始めようとなった理由は大きく3つあります。まず、電車の切符を電子化する必要があると考えたからです。例えば映画館のチケットが現在はスマホで買える一方で、電車の切符は駅でしか購入できません。この原因は交通系ICカードが便利で普及しており、あえて変える必要がなかったからと考えています。ただ若い人たちからすると、スマホを通してチケットを買うという購買体験が当たり前になっています。

もう一つの理由として、鉄道業界同士やバス会社同士が協調することを考えなければならないタイミングだったことが挙げられます。MaaSでは「マルチモーダル」がキーワードとなっています。

弊社はこれまでカーシェア事業やレンタサイクル事業を行っていませんでした。昔でしたら、これらの事業を行うと言ったら社内各所に鉄道・バスとの競合を指摘されることが懸念されましたが、今はそういう時代ではありません。そのため、カーシェアやレンタサイクルを弊社のユーザーインターフェース上で提供できるような世界観のアプリを開発できないかと考えました。

最後に、2018年の春に複々線の30年にもわたる大規模工事が終わり、次の新しい小田急をどうすればよいか考える必要があったからです。とりわけ私が所属している経営戦略部では、デジタルやアプリと運輸サービスをどう掛け合わせ新しいものにするか考える必要がありました。そして経営戦略部を中心にMaaSに本格的に取り組むことが決まりました。

<小田急電鉄株式会社 経営戦略部 課長 次世代モビリティチーム 統括リーダー 西村 潤也氏>
2003年、小田急電鉄に入社。 鉄道現業を経て、運転車両部、交通企画部などに所属。 その後、運輸総合研究所への派遣を経て、2016年7月より経営戦略部に所属。 次世代モビリティチームの統括リーダーとして、自動運転バスの実証実験やMaaSの開発 に従事。 2019年10月にMaaSアプリ「EMot(エモット)」をリリースしたほか、オープンな共通データ基盤「MaaS Japan」を展開、2020年2月からはオンデマンド交通「しんゆりシャトル」の実証実験を実施している。 2020年3月には、安心・快適なモビリティ・ライフの実現にむけてスマートドライブとプロジェクトをスタートするなど、多様なパートナーとともに、次世代モビリティ事業を推進している。

MaaSを推進させるための戦略

米田:中期経営計画策定に何度か携わったことがありますが、戦略を掲げてもなかなか実行できないケースを多々目にしました。マクロトレンドで人口が減り鉄道利用者が減っていくことをふまえて戦略をいくつか考えることはできたとしても、実際に戦略をアクションに移すことは非常に難しいと想像しています。その中で、御社ではMaaS事業をうまく形にされておりますが、その秘訣は何だったのでしょうか。

西村:経営戦略部は中期経営計画を立案する部署で、複々線が完成した翌月の2018年4月に新しい中期経営計画を発表するタイミングでした。その中期経営計画で日本の鉄道業界では初めてMaaSを戦略の柱として発表しました。そのことも、MaaS推進をうまく行えている理由の一つではないかと考えています。

また、推進当事者も特徴的です。大企業の内発的イノベーションをどう起こすかという話につながるかもしれませんが、われわれの場合は交通サービス事業本部があり、その部署でMaaSを推進するといったやり方もありました。また、新たにMaaS戦略を考える部署を作る方法もありました。しかし、私たちは中期経営計画を作った経営戦略部がMaaSを推進しています。中期経営計画を作った責任もあるため、MaaSをうまく進められていると思います。また私は、経営戦略部の前に鉄道事業の部署に所属しておりました。そして現場経験もあったため、よく鉄道業界の現状を知っていたこともあり、MaaS事業の責任者に任命されました。そして日々、責任を感じながらチームで事業を進めています。

米田:「意志」を持ってプランを作った方が「意志」をもって実行されているので、大きく進んでいることがポイントなのですね。

西村:そうですね。ベンチャー企業と同じだと思いますが、初期段階ではプランを作った人が実行することが重要だと考えます。ただ、スケール段階では組織や資金をどう回すのかという議論も必要になってくるため推進体制をリモデルする必要があると思っています。

米田:過去も、MaaS事業に限らず経営戦略部が実際にプラン策定から実行まで行うことは多かったのですか。

西村:実は、経営戦略部は組織改編によって2016年7月にできた部署です。その時点で当社では2020年度までの経営ビジョン「長期ビジョン2020」を掲げており、先ほど述べた複々線事業の完成後の収益の最大化を目指すとともに、新たな成長の種をまき育てることを掲げていました。ところが、成長の種まきという点では進捗が芳しくありませんでした。これまでの経営企画部門は、各事業部門の計画を取りまとめる形で、グループ全体の中期経営計画を作成する役割にとどまっていましたので、経営戦略部では、具体的なアクションを起こしながら戦略を修正していき、それを全体の計画にフィードバックしていく役割を重視するようになりました。

米田:鉄道事業者の経営企画部門は、管理的側面が強いと思っていました。例えば、乗車人員数の予測モデルの精度を高め、そこに単価をかけ合わせることでどう収益を見立てられるかを重点的に考えているイメージですね。イノベーションを起こすといっても、青写真はあるものの実行するのが難しい中、御社のように経営企画部門がアクションを同時に起こすことが功を奏したといえるのかもしれませんね。

西村:おっしゃった通り、運輸業は人口動態などから収益が予測できるためダイナミックな戦略を立てる必要性はあまりありませんでした。しかし、コロナの影響でDXのスピードが10倍くらい早まったと感じています。もともと、複々線が完成した2018年3月からMaaSを先駆けて取り組んでいたことで、現在のDXのスピードに対応したMaaS推進ができているのかもしれません。

米田:代表からDXをとりあえず行ってほしいと言われたが、目的が不明確で現場が模索することはよく見られる光景だと感じました。そのDXが、コスト削減なのか売上向上なのか、30年後の話なのか3年後の話なのか、具体的なことになると経営と現場の目線があっていないケースも多々ありますよね。その点、やはり御社の体制は素晴らしいと感じます。

オープンデータプラットフォームのMaaS Japanを提供したり、ヴァル研究所との提携など、これまで培ってこなかったケイパビリティをどのように獲得していますか。

<ユナイテッド株式会社 執行役員 米田 吉宏氏>
慶應義塾大学経済学部卒業後、 電通にて国内外での広告プランニング、ビッグデータを用いたマーケティングROI向上支援等に従事。2013年ボストン コンサルティング グループ入社後、主に通信・メディア・テクノロジー領域の経営戦略策定、新規事業開発、営業戦略、組織戦略等を担当。プロジェクトリーダーとして従事した後、2019年3月ユナイテッド株式会社執行役員に就任(現任)。DXソリューションの立案/推進と、全社戦略/組織強化を担当。

西村:2018年から動き始めた際に、自分たちのケイパビリティやソリューションは何かを整理して、補えない部分はパートナーと提携する必要があるとすぐ判断しました。そして一番最初にヴァル研究所と協働することが決まりました。

プロジェクトマネジメントをする人間やベンチャー気質を持った人間が運輸業には少ないため、役員と話し合い必要な人材を獲得する方針となりました。そして弊社では珍しいのですがプロジェクトを特定した中途人材を獲得し、プロジェクトマネージャーとして起用しました。そしてMaaS Japanもそのプロジェクトマネージャーを中心に作りあげています。

米田:一般的に大企業だと、中途人材の獲得に腰が重くなることが多いと思いますが、そういった意味でも御社はなかなか進んでいますね。われわれのコンサルティングプロジェクトの中でも外部人材活用は重要な論点になるため、非常に興味深いです。

西村:例えば社長に命じられてMaaS推進部を作り、外部人材を採用しようとなるとします。その際に、採用条件を定義し人材紹介会社にお願いをしてもなかなかよい人材を獲得することが難しいと感じています。採用に1年以上かかることも珍しくないため、採用計画をしっかり作ってから採用を始めるのではなく、ある意味アジャイル的に採用を進めていきました。

米田:この不確実性が高い現代で、もがきながらアジャイル的に採用を進めていったのは特に重要なポイントだと感じました。アプローチがクリアでないときに立ち止まってしまうケースも見られますが、そうではなくてやりながら改善していくことがイノベーションには不可欠なのかもしれませんね。

西村:そうですね。そして、人材の採用だけではなく情報発信も事業を前に進めるためには大事だと感じております。そして2018年から2019年にかなりプレスリリースを発信した結果、MaaSに関連する情報が入ってきただけではなく、企業からの問い合わせ増加や採用にプラスに働いたということもありました。発信することがやはり重要だと感じました。

米田:プランをひたすら練り続けるのではなく組織のケイパビリティーを見直し、やりながら改善していく組織がイノベーションを起こすには大事だと思いました。そして、情報発信、情報獲得、ケイパビリティーの見直し、実行&改善というサイクルをうまく回されている御社は、とても理にかなっていると感じました。

御社が今後、どのようにMaaSを展開していくかや日本のMaaSの今後の予測について教えていただけますでしょうか。

西村:小田急電鉄のMaaS展開について、顧客側視点の話と事業運営側の話に分けてご説明します。顧客接点について、私はユーザーに「宝箱」を開けたときのような体験をしてほしいと考えています。EMotというMaaSアプリには電子チケットが20種類くらいあり、そのチケットの中ではサンリオピューロランドのような鉄道業とは一見関連性がなさそうな事業者のチケットも購入できます。交通に付随した観光やレジャー、飲食などの移動目的となるチケットを揃えることで、週末にどこに行こうかなとユーザーが考えた際に、今までなら本を見て情報を得ていたかもしれませんが、アプリがそれに置き換わり、日々のくらしが豊かになるような「宝箱」になってほしいと思っています。そうしたアプリをきっかけにして自動改札を通る以上の顧客接点を作ることにより、ユーザーとの結びつきが強くなると考えています。

西村:事業運営側については、オンデマンド交通などMaaSを活用して生産性を高め持続可能な事業運営をしていく必要があるとも考えています。もしかしたら将来、時刻表はなくなりお客様のデマンドに合わせたフレキシブルな運用などもあるかもしれません。新幹線などでは難しいですが、バスなどの2次交通の運用見直しは現在も実証実験などで進めており、近い将来、大きく運用体制が変わるかもしれません。

またMaaS Japanは、AWSを使って他社に向けてオープンにしてあるので、他社はゼロからMaaSのシステムを構築するのではなく割安なランニングコストのみでMaaS Japanを使ってもらえればよいと考えています。MaaS Japanを多くの皆様に使ってもらうことにより、ランニングコストをさらに下げることが可能となります。この好循環が回り始めると日本のMaaSはさらに推進するでしょう。

米田:地方の公共交通機関は、自分たちでMaaSをゼロから進めるのは難しいと想定されるので、MaaS Japanの取り組みは役立っていきそうですね。日本全体へのMaaS浸透が早まりそうです。

西村:そうですね。MaaSに関しては、国も積極的に動いています。例えば国の補助金をMaaSJapanの利用時に活用してもらうことで、Maas Japanも広がっていくと思いますし、ひいては日本のMaaSの発展にもつなげたいという思いもあります。

米田:Whimなど、海外のMaaS関連企業と日本のMaaS関連企業で何か違いはありますか。

西村:Whimは交通事業者ではありませんし、他の海外企業を見ていてもシステム寄りの企業が多いと感じています。また、Whimはシステムではなく、サブスクでのチケット販売を収益源としています。

日本企業では、交通事業者や地方自治体が中心にMaaSを進めているので、海外企業と収益構造が全く違います。弊社もバスの無料チケットを配っていますが、グループの商業施設が最終的に潤えばよいと思っているので、海外のMaaSの進め方とは少し違うかなと感じます。

今後のMaaSの姿

米田:今後、日本でMaaSを普及させるためにボトルネックになっていることや課題はありますか。

西村:一番のボトルネックはMaaSアプリとゲート管理の親和性です。ICカードは決済という課金機能とゲート管理の両方の機能があります。ただ、MaaSアプリではゲート管理がクリアできておりません。ICカードが普及し、複数のICカード同士の連携もできているなか、MaaSアプリで発行した新しいチケットとICカードの親和性がまだまだ低いです。ただ、5年後にはその問題も改善されていると思います。

米田:確かに、御社がMaaSを進める中でその問題はかなり大きいかもしれませんね。地方の公共交通事業者の場合、そもそもシステムのリテラシーが低いといったボトルネックもありますか。

西村:あると思います。地方の事業者の場合は企画部門や戦略部門がない場合が多く、地銀などがコンサルに入るケースもあるようです。ただ、運送業のDXは業界固有の課題も多いため、弊社もそういった地方の事業者に積極的に支援を行う必要があると考えています。

米田:システムに関してどの点まで内製化を行い、どの点を外部に頼るかは最初から明確に決めていましたか。

西村:初期的には明確化していました。MaaS Japanの構想ではここまでを内製化して、ここからをパートナーとやっていくと切り分けていました。ただ、拡大期にはサンリオさんなど鉄道関連ではない事業者さんが出てくることで、どのように内製化するか悩むことが最近増えています。その際に、外部の力を借りることも選択肢として重要だと考えています。

米田:大手企業ですと、システムは内製化がメインのイメージがありました。また、さらに大手企業のITシステムは堅固であり、結果として外部の力を借りずさらに内製化の方向に進むケースが多いと認識していました。その点、外部の力も積極的に検討されている御社の話は大変勉強になります。

西村:運輸業者やインフラ業者は安全・安定なシステム運営が重要だとされており、システム不具合をなるべく減らすために、実際、大きめのSIerに頼りがちになってしまうこともあります。ただ、弊社のMaaSで使用しているAWSはクラウドベースですが安全性と安定性は一定レベルで確保されています。今後は、どのタイミングで既存のシステムをクラウドに転換するかを考えなければならないと日々感じています。オンプレがかならずしも悪いというわけではないので、システム構成を考えてオンプレかクラウドどちらを活用するか見極め、場合によっては新規投資を入れていくといったことも行っています。

米田:別の観点の質問をしてもよいでしょうか。事業立ち上げのときに意志を持った人が先陣を切って進めていくとおっしゃっていましたが、経営陣はどのように立ち上げをサポートされたのですか。一般的に新規事業を立ち上げる際には、経営陣から逐一進捗を聞かれたりする印象があり、お伺いしました。

西村:経営陣との連携は、まさにマネージャーの腕の見せ所だと捉えています。実際に私はかなりの回数の報告を経営陣に行い、納得していただく項目も多々ありました。弊社に限らず大手企業は経営層全員がデジタルを理解されるわけではないと考えており、そこを嚙み砕いて経営陣に説明していくことが私の仕事だと認識しています。私が経営陣とチームとの中でかけ橋となり、多少苦労をしても事業を前進させたいと考えています。

また、MaaS事業の売上など数字が見えてきたら経営陣からの見え方は好転したように感じます。

米田:新規事業だからこそ、数字を期待されていて、もっと頑張れと発破をかけられることもありますか。

西村:はい、あります。そのプレッシャーは私以外にもチームメンバー全員が確かに感じています。ただ、日本社会の交通分野においてプラスになることをやっているという事が対外的な評価から分かるらしく、メンバーはプレッシャー以上のモチベーションを外から受けているケースが多々あります。

米田:数字とロマンをもって事業を進められていることがよく分かりました。特にロマンの部分は、御社のみならず多くの交通事業者の共感を生みそうですよね。

DXの担当者の方や今後、DXを進めたいと考えている人に向けて何か一言あればお願いします。

西村:私のような者が、権限移譲してもらいMaaSを進められているのもトップや経営層がMaaSの取り組みを非常にポジティブに捉えていることがポイントだと考えています。

弊社の代表は「ワクワクが大切」とか「情熱」などポジティブなメッセージを出しつつ若い人に向けた発信をしていて、それが社員のモチベーション向上につながっています。また、役員向けに外部や若い人たちの様子を見てもらうプログラムを組み、参加してもらっています。トップや役員も、前向きに変化を捉えてくれているのはある意味でラッキーな環境です。

また、もともと私は電車の運転士をやっており入社して数年間、鉄道業務の現場に立っていました。今の立場になり、現場で培った経験は私の武器であると考えています。今の若い人たちは新しいことをやりたいと思う人が多いかもしれませんが、若いうちはしっかりと胆力をつけ、また、臨機応変に対応できる能力を養うことがとても重要です。

西村:マネジメント層になるためには、相応の経験と我慢と下積みが必要だと考えており、大手企業にはそういったことを乗り越えた方がたくさんいると思います。ですから、トップがうまくマネジメント層に権限移譲をして、マネジメント層がしっかりリーダーシップを発揮した若い人たちと一緒に事業を推進していく組織が理想だと考えています。

米田:経営層と現場の目線が違うことが起きがちですが、マネジメント層がトップの意思も現場の意志もどちらもくみ取り、適切な動きをすることが重要だと改めて認識しました。

西村:そうですね。マネジメント層になると外部との接点を増やし、外部と自社がどう違うのか整理して、役員にそれを伝えるといったことが求められます。特に鉄道業者は内々の対話を重視して外のことを知らない人も多いため、いろいろな方と話す機会を持ち、社会の大きな流れの中で自社のソリューションをどう活かすかと考えることが重要だと思いますね。